Netflixで「超かぐや姫」を見ました。
話題になっていたのと、日経の記事で見かけたのがきっかけです。昔は毎クール放送されるアニメを片っ端から追っていたくらいアニメが好きで、映画作品もかなり見てきました。
今回の作品は「ぼくらのウォーゲーム」や「サマーウォーズ」の系譜を感じる、ネット世界と現実が混ざり合いながら進んでいくタイプの作品でした。
最近はアニメそのものよりもVTuber関連を見る時間の方が増えていたので、作品全体の空気感にもその影響を感じました。立川が舞台というのも個人的には気になったポイントです。昔住んでいた街でもありますし、立川を舞台にした作品は昔から多い印象があります。立川駅から北側は新しい建物が多くて映像映えしますし、新宿より西側には制作会社も多いので、作り手側の記憶や生活圏が反映されているのかな、と考えながら見ていました。
作品自体はとても面白かったのですが、見終わったあとに残ったのは昔の映画ならではの「世界を救う」という目的より、もっと身近な感情について描かれていた作品だな、という感覚でした。昔のネット系作品が“世界規模の危機”を描いていたのに対して、今回は半径数メートルの人間関係や感情が中心になっているように感じました。
主人公は、とにかく頑張りすぎるタイプ。一人で何でも抱えて、精神的にはかなりギリギリなのに、周囲にはそれを見せない。全部できてしまうけれど、ふっと消えてしまいそうな危うさがある。見ながら、今の時代はこういう人が本当に多い気がしました。
日常生活の中でも、少しだけ関わる人たちがいます。レジ打ちの人、お店の店員さん、渋滞で同じ道を走っている人、仕事でやり取りする相手。名前も知らないし人生も知らないけれど、自分の生活には確かに存在している人たちです。みんな程度の差はあっても余裕がなくて、急がなくてもいい場面で急いで、やらなくても良いことに執着して、結果としてやり直しになるようなことも増えている気がします。
主人公のパートナーも印象的でした。相手に強く頼ることができる人でもあります。無邪気に「もっと助けて」と言えるし、そのぶん主人公が本当に危なくなった時には、自分がやるべきことをちゃんとやろうとする。愛嬌があるので嫌味にはならず、主人公が悪い言い方をすれば「相手を下に見ている」「自分以外には出来るはずがない」という受け止められ方をされてしまってもしょうが無い事をしているので、それが中和されるというか二人のバランスがうまく成立していました。むしろこのパートナーが居る事で主人公がいい人になるお話です。
映画を見終わって、最近ぼんやり感じていた空気感を改めて考えました。世界とか社会全体よりも、まず自分が満たされること。自分の感情や居場所を守ること。その優先順位が高くなっている時代の感覚です。それを否定するわけではなく、その空気感そのものを作品として昇華していたのが「超かぐや姫」だったのだと思います。
とても面白い作品でした。
コメントを残す