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オリンピックと野鳥観察

最近、カーラジオやメールマガジンからオリンピックのニュースがよく流れてきます。開会式の話題やメダルの数、選手のドラマ。世の中が盛り上がっていることは伝わってくるのですが、正直なところ、私はあまり強い関心を持てていません。

これは批判ではなく、ただ自分の興味の向きが少し違うのだろうなと感じています。

私の関心は、野鳥、お茶、プログラミング、インターネット、ラジオといったものに向いています。スポーツ観戦はほとんどしません。人が集まり、声を上げ、勝敗に一喜一憂する空間よりも、静かな森の中で小さなさえずりに耳を澄ます時間のほうが、自然と心が落ち着きます。

会話も、自分から率先して広げていくタイプではありません。どちらかというと、その場の空気や雰囲気が穏やかであることのほうが大切です。興奮や高揚よりも、落ち着きや余白のある時間に価値を感じます。

オリンピックを楽しめる人は、人の営みや身体能力、努力の物語に強い関心を持っているのかもしれません。人への興味がとても豊かで、選手一人ひとりの背景や想いに感情を重ねられる人。そういう感受性があるからこそ、大きな感動が生まれるのだと思います。

一方で私は、他人の身体的な能力を競う姿を見ても、そこまで感情が動きません。まったく興味がないわけではないのですが、気持ちを強く共有したい、同じ熱量で盛り上がりたい、という感覚があまり湧いてこないのです。

それよりも、自分が書いたコードがうまく動いたときや、作った仕組みで誰かが少し楽になったときのほうが、心が動きます。あるいは、目の前の人がほっとした表情を見せてくれたとき。派手な歓声ではなく、小さな安心や静かな喜びのほうが、私にはしっくりきます。

野鳥観察も同じです。双眼鏡を通して、小さな動きや羽の色の違いに気づく時間。誰かと競うわけでもなく、勝ち負けもありません。ただ、そこにいる存在を見つめるだけの時間です。その静けさの中で、自分の感覚が整っていくのを感じます。

世の中が大きなイベントで盛り上がるとき、自分だけが少し外側にいるような気持ちになることもあります。でもそれは、欠けているというより、向いている方向が違うだけなのだと思うようになりました。

人に強い関心を持つ人もいれば、自然や仕組みや静かな空間に惹かれる人もいる。どちらが良い悪いではなく、それぞれの感受性のかたちなのだと。

オリンピックのニュースを聞き流しながら、私は今日も双眼鏡を持って外に出るかもしれません。そして帰ってきたら、湯気の立つお茶をいれて、静かな画面に向かい、また何かを作る。

大きな熱狂よりも、小さな落ち着き。
それが、今の私にとっていちばん心地よいのだと思います。

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