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「味噌汁が美味しい」と気づいた日

——“好き”は知っていくものだと思う話

最近、味噌汁が美味しいと感じるようになりました。
もちろん昔から飲んでいましたし、あれば飲んでいましたが、自分で率先して作るものではありませんでした。ですが、「こんなに簡単に作れて、バリエーションがあって、しかも美味しいものだったんだ」と改めて気づいたのは、ごく最近のことです。

朝、お米を炊くと、自然と味噌汁を用意します。漬物や和え物が少しあるだけで、献立が整いますし、何を作るかを迷わずに済むので、とても楽です。

栄養面でも、米・味噌(大豆)・野菜という組み合わせは、胃に優しく、生活のリズムを崩さない程度にしっかりエネルギーを与えてくれます。

個人的には、米と肉を一緒に食べると少し身体が重く感じることがあります。
なので、肉を食べるならパン、米を食べるなら大豆や味噌、といった組み合わせの方が自分には合っていると感じるようになりました。

そうした毎日の食事を通じて、「あ、自分は味噌汁が好きだったんだな」と、初めて実感しました。
これまであまり深く考えたことがありませんでしたが、知らなかった“好き”に気づけたことが、なんだか嬉しかったです。

「好きなものしか食べたくない」ことへの違和感

このような経験から、「好きなものしか食べたくない/やりたくない」という言葉に少し違和感を覚えるようになりました。
嫌いなものを避けたいという気持ちはよくわかります。でも、「好きなものだけ」で世界を区切ってしまうのは、どこかもったいない気がするのです。

私は、「まだ知らない“好き”がきっとある」と、常に思っていたいです。
食べ物だけでなく、仕事や人との関わりにおいても、今の自分が知っていることだけがすべてではないという前提でいたいと感じます。

味噌汁のように、ずっと身近にあったのに、ちゃんと“知る”ことなく過ごしていたものが、ある日ふと好きになる——そんな体験は、日常に小さな驚きと喜びを与えてくれます。

「好き」は固定せず、更新していくものです

「好き」というのは、固定されたものではなく、日々の体験の中で更新されていくものだと感じています。
だからこそ私は、なるべくいろいろなものを見て、食べて、試して、知っていきたいと思っています。

仕事においても、自分の興味や判断基準を固定しすぎないように心がけています。
「これが正解」と決めつけず、まだ見えていない可能性にも目を向けること。
それが、新しい気づきや成果につながることが多いと実感しています。

そうした柔軟さや変化を受け入れる姿勢は、暮らしの中でも、仕事の場面でも、大切なことだと感じています。

こうした価値観は、私が関わっているプロジェクトや日々の仕事にも自然と表れていると思います。
目の前のことに集中しながらも、「まだ知らない“好き”に出会うために、少しだけ余白を残しておく」——そんな姿勢で、これからも人やモノに向き合っていきたいと思っています。

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